ヨガとセラピー

以前クレニオセイクラルワークを学んだ時、最初のワークがダイアグラム、横隔膜などの身体を横に走る組織の解放だった。

ヨガでも同じように縦に流れるエネルギーを横に走る組織がブロックしないように緩めていくという。

プロップスを使ったり、アジャストして力で持っていくのではなく、意識する事によって拡がりを作っていく作業がヨガだという。

同じ事をしている事に、今更ながら気づいた。

基礎練習はつまらない?

今、森絵都著「みかづき」という本を読んでいる。塾の話しなのだが教育と経営との葛藤が綴られている。だからか昔の事を思い出した。

中学校の音楽の時間だった。新任のその先生は和音の練習ばかりをした。その時間はもうメチャクチャになっていった。でも自分は楽しかった。同じ事の繰り返しなのだがとても気に入っていた。

数年経ってあの時の練習が身についているんだなぁと音楽に触れる時に思われる。40年近く経った今でもそう思える授業はありがたいことだ。

同じ教える立場としてはそんなレッスンをしたいものだ。

十人十色

家の前の田んぼの後に、今の季節になるとひばりの鳴き声が聞こえてくる。しばらく見ていると、大きな声でで鳴きながら真上に上昇し、高く飛び上がると、後は疲れたように落ちてくる。いったい何をしているのかしら?と思う。あとで思い返すとおかしくあり、楽しく感じてしまう。

教室など数人でヨガをしていると、どうしても他人と比べてしまう時とかがある。エゴが顔を覗かせる瞬間である。アイアンガーヨガをしているとポイントを押さえる事を覚えるので他人の事もよく見えてくる。それが上手く?発動している時は他人の欠点に目がいき、下手に?発動している時には自分の自分のできなさに目がいったりする。しかし、見るべきところはそこではなく、自分のエゴだ。

そのエゴとどう向き合っていくのか?それがヨガだ。力で押さえ込むのではなく、観察し気づく事によって手放していく。執着、こだわり、欲、などから解放させていく事が瞑想である。こういう方法をクラスの中で身体を使って身につけていってほしい。その為に色々な観点、アプローチがヨガのクラスの中で与えられているのだ。

10人いれば10種類のヨガがある。1つの価値、1つの結果にこだわる事なく、自分自身の価値を見つけていく。だから、子供が大きくなったら家を出ていくように、ヨガの世界でも基本を身につけて成長したら巣立って、自分の価値を高めていき成長していけばいい。それが自然だと思う。

色々な生き物がいるように、日本人という価値観さえ乗り越えて、1人1人が生き生きとした世界が作られていけば好い。話が大きくなってきたので終わり。

優しさにつつまれたなら

優しさに包まれたなら、目にうつるすべてのことはメッセージ。

ユーミンの歌詞でこんな曲がありますね。優しさに包まれたなら、すべての事はメッセージになるのです。

1つの事を一生懸命学ぶ事は大切ですが、一見無駄に見える事の中にも学びの機会はあるものです。そしていつかすべてが繋がってくる。

前にヨガを教えている時にクレニオセイクラルワークというボディワークも教えようとした時に、ある生徒からそんなものは使えないから要らないと言われた事があった。

しかし、今武術系のメルマガとかを読んでいるとクレニオで学んだのと同じテクニックを言葉を変えて言っている事がある。それはアジャストにもつながるし自分とそれ以外の関係性であったり、様々なところに応用が効いてくる。

前にも書いたかもしれないが、ヨガは全てに通じる道だと思っているので、色々なところからヨガというものにアクセスでき、最終的には自分というものに集約されていく。

結局のところ、個々の成長がヨガであって、ヨガを学ぶ事がその人の人間性を高めてくれるものでなければならないのだと思う。

では何を学んでいくのかというという事はまた次の機会にしようと思うが、すべての事を自分へのメッセージに変える事は優しさに包まれる必要があって大事なのは感謝の心であり、すべてのものにありがたいなぁと思えた時に、全てが自分のための学びに変わっていくのだ。

そんな事を今日はふと思った。

手入れをする

昨年暮れに子供達が祖母へ買ってあげたシクラメンが花がなくなり葉ばかりになってしまっていた。

自分が子供の母は毎年シクラメンの花を玄関に飾って春先まで綺麗な花を咲かせていた。そんな記憶があるから、花が終わってしまうのは早すぎると思い祖母(子供達にとっての)から植木鉢を受け取り手入れをする事にした。

幸い還元水素水が植物に良いというので水やりをし、花と葉の手入れをし肥料を施すと、薄いピンクの花が赤くなり中央に陽を当てるようにしたら段々と元気になってきた。

人間の身体も手をいれ気を入れ心を入れたら元気になってくるのだ。花でさえそのおもいが伝わるのだから人間に伝わらないわけがない。

中国茶席

中国茶の茶席に出た。

昔中国を旅していた時、カップに茶葉を入れていつも持ち歩いていた。
その土地その土地の色々なお茶を飲んでいた。
特に味わうこともなく継ぎ足し継ぎ足し飲んでいたのを思い出した。

小さな急須のような茶壺に茶の葉を入れ熱いお湯を注ぎ1分、そして茶海というポットのようなものに注ぎ、聞香杯という背の少し高い湯呑に入れ、そこから小さな湯呑である茶杯に入れて飲む。
飲む前に空になった聞香杯の香りを味わうわけです。
こんなにしっかり味わってお茶を飲むのは初めての体験でした。

日本茶のような格式の高さを感じつつ、飲茶のような気軽さが同席しているそんな印象を受けた。
隣には見知らぬ人が座り一緒にお茶を飲みながら会話をする。
客をもてなす主を中心に一つの世界が世界が作り出される。

茶席という独特の世界感
礼儀作法というものもあるのだろうが堅苦しさもあまり感じず、出会う人とも気軽に一期一会を体感でき奥行きのある中国茶を味わうことができ素晴らしい時間を過ごせた。

ヨガのクラスもかくありたいものだと思った。
ポーズの良し悪しよりもその奥深さを内側に感じ味わい、礼節がありながらも堅苦しくならず、その時間をみんなで共有して作り出していく。
そんなクラス作りをしていきたいと今日は思った。

仲間

クラスが終わった後、いつも通ってきてくれている人が新しく体験で参加した人に話しかけていた。それを見ていて、ありがたいなぁと感じた。クラスに参加している人達が、このクラスを作ってくれているのだなぁと思った。

また、別のクラスでも数年休んでいた人が戻ってきたりする。長年続けている人がいるから戻ってきてくれる。

一緒にヨガを続ける仲間がいるというのはとても大切な事だ。

ヨガ遍歴4

帰国をしてヨガを伝えようと決めたものの、どうしたらよいのか全く分からないまま、ニートの状態が2ヶ月続いたある日父親が自衛官の地連の人をつれてきた。自衛官の勧誘に来たのだ。

流れに任せて自衛官になった。規則正しい生活、体力作りに励みながらベッドにコンパネを入れてもらい、毎朝ベッドの上でヨガをした。

任期途中で自衛官を辞め、北海道でオフロードのバイクを買い、日本列島を南に旅し鹿児島から奄美、沖縄本島、宮古島、石垣島まで旅をした。

旅を終え、仕事を探している中でスポーツクラブの、水泳コーチをしようかと面接に行った。そこでそこの面接官に「この仕事は好きでないとできないよ」と言われ、好きでないとできないのなら、ヨガの仕事をしようと決めた。

インドでヨガを伝えようと決めてから2年半の月日が流れていた。ヨガ教室といっても何がどこにあってどんな状況なのか全く分からなかった飛び込みで吉祥寺にある教室に入ったら新宿に本部があるといわれ後日そこの教室に行き指導員養成コースに、入門する事になった。

過程と結果

自分がヨガを始めたきっかけは瞑想です。

今あるヨガ教室のように身体の柔軟性、ポーズがいかにできるかが主でしたらヨガの道には進んでいなかったでしょう。
ヨガをするのに身体の柔らかさは全く関係ありません。だんだんと身体は柔軟になっていきます。

資本主義の現在は直ぐに結果を求めるという風潮があります。
そのために成功という定義も安易なものになってきているような気がします。

それよりもその過程が大切だという事を何千年もあるヨガの歴史は語っています。
身体を正しく使うことで健康になり、身体が元気になることで心も前向きに変化し、人生で起こってくるどんな困難も乗り越えていく力を与えてくれるそれがヨガです。
人生は結果も大切かもしれませんが、時間にしたら圧倒的に長いのは、その過程です。
成功に導くためのノウハウがたくさんありますが、その過程をしっかり実践して結果が表れ来るという事を忘れがちです。

その為にも過程は結果よりも大事なのです。
ヨガを始めるきっかけも、健康であったりダイエットであったり人それぞれです。
正しい知識、正しい方法でヨガを実践していく事で、いつかその目標が達成され結果を得られます。

自分自身もまだ過程の途中であります。
そんな自分が言っても説得力はないかもしれませんが、そう思ってヨガをしています。

情熱

高校時代の部活の顧問の先生の古希のお祝い会に参加してきた。九州からわざわざ神奈川まで行ってきた。

久しぶりに会った部活の先輩後輩、いいもんだなぁ、と思った。学生の頃はただひたすら練習が嫌で何とか3年間終えたという感じだった。1、2年生の時は練習はストレス以外の何者でもなかったが3年になって、あと1年と思った時に「あと1年やる気を出してやってみよう」と思った。そうしたら1、2年の時の苦しみが嘘のような消え、記録も伸びるようになった。この事が、やる気を出せば全てが変わるのだという事を学んだ。

学んだ事はそれだけでは無かった。先生の厳しいまでの指導。自分はあまり怒られる事はなかったが、その情熱はかなり熱いものだったのだと今回気づいた。そしてその情熱が良きにつけ悪しきにつけ影響を受けていた。まるで社会の縮図のような毎日だと決めつけ、会社勤めはせずにドロップアウト。そしてヨガという自分の道をみつけ今までやってこれたのはこの先生の情熱を受け継いでいたからだと気がついた。

今まで何となく自信がなかったりどっちつかずになったりして迷ったりしていたが、自分の原点に立ち返る事ができた。そんな先生の座右の銘は『雑草の如く』であった。これでいいのだ。と思えるようになったし、『自分を信じてあげられなくて誰が自分を信じてあげられるのだ』という言葉が残った。

そして仲間というものは大切な財産であり。ヨガを通してその仲間を作り育てていく事が自分のこれからの仕事である事を教えてくれた。