中津市ダイハツアリーナ

今日はヨガセンターがお休み。
大分県中津市ダイハツアリーナでヨガレッスンがある。

アリーナは高校のバスケットの新人戦でいっぱい人があふれていた。

月初めなので来月の予約をするのだが9月はイベントが入っているので2回しかヨガができない。

スポーツの秋なので仕方がないのかもしれない。
アリーナでのヨガは基本的な内容が中心で、いろんなアサナをするというよりも身体の芯部に届くよう心がけている。

腹部をどうやって緩めていくのか、それが今のテーマだ。

内臓の硬さが他の部分に影響を及ぼすというので骨盤周辺の開拓をしている。

そして下腹部を緩める。

脚をいかに使っていくのかしっかり伝えていきたい。

身体を動かす

ヨガの練習で同じ動きにもそれぞれのレベルがある。

身体を横にして動くやり方はじっくりと時間をかけてほぐしていくのに適している。

同じところをほぐそうとしても、立ってやると重力という負荷がかかって思ったように身体をコントロールする事が難しい。

初めは簡単にできるところから徐々にレベルを上げていくのが良い。楽な動きばかりしていてもやがて変化はしなくなる。

ただ身体を動かせばよいというものでもない。動かない部分をいかに動かしていくか、コントロールしていくかが大切なのだと思う。

そして何より大切な事が先に書いてきた、センターであり左右差の解消だと思う。

その為にも意識を使い身体を感じていく。

そこがスタートであり、そこから深遠なるヨガの世界が広がっていくのだと思う。

左右差

センターを意識して練習をしていると左右差がとても気になりだす。

硬いと感じる側をしっかり伸ばしていこうと考えてしまう。

練習をすればするほど左右差が生まれてくる。

身体の右側が左側の先生であり、左側が右側の先生になるようなやり方をしていく。

右も左も同じ注意の量を注ぐ事で左右差が均等になっていく。

注意の量が同じになっていくということはプラーナ、エネルギーの量が均等になっていく。
ある程度弱い側に力がついてくると、強い側をそれまでと違った視点で見る事ができる。

硬い側、強い側は今まで身体を支えてきてくれた。

でも今までのような使い方をしなくてよいのだと気がついた途端、硬い側の使い方が違っていた事に気づく。

分かっているようで分かっていない事に出会う。

とても新鮮な事だ。

センター

ヨガのアサナをしていると、左右差がとても気になってくる。

身体の硬い方をより柔軟にしようと一生懸命になったりする。

柔らかい方はというともっと強くする必要がある。

身体は左右対象にはできていない。だからこそ意識する必要がある。
日本人には丹田という言葉がある。

丹田からしっかり手、脚を伸ばしていくと同時に引き込む力が必要になっていく。

そうしてはじめて左右差が解消されていく。

そうすることで腹部、胸部が開かれていき、ヨガをする上でとても重要なポイントになっていく。

ヨガとセラピー

以前クレニオセイクラルワークを学んだ時、最初のワークがダイアグラム、横隔膜などの身体を横に走る組織の解放だった。

ヨガでも同じように縦に流れるエネルギーを横に走る組織がブロックしないように緩めていくという。

プロップスを使ったり、アジャストして力で持っていくのではなく、意識する事によって拡がりを作っていく作業がヨガだという。

同じ事をしている事に、今更ながら気づいた。

基礎練習はつまらない?

今、森絵都著「みかづき」という本を読んでいる。塾の話しなのだが教育と経営との葛藤が綴られている。だからか昔の事を思い出した。

中学校の音楽の時間だった。新任のその先生は和音の練習ばかりをした。その時間はもうメチャクチャになっていった。でも自分は楽しかった。同じ事の繰り返しなのだがとても気に入っていた。

数年経ってあの時の練習が身についているんだなぁと音楽に触れる時に思われる。40年近く経った今でもそう思える授業はありがたいことだ。

同じ教える立場としてはそんなレッスンをしたいものだ。

十人十色

家の前の田んぼの後に、今の季節になるとひばりの鳴き声が聞こえてくる。しばらく見ていると、大きな声でで鳴きながら真上に上昇し、高く飛び上がると、後は疲れたように落ちてくる。いったい何をしているのかしら?と思う。あとで思い返すとおかしくあり、楽しく感じてしまう。

教室など数人でヨガをしていると、どうしても他人と比べてしまう時とかがある。エゴが顔を覗かせる瞬間である。アイアンガーヨガをしているとポイントを押さえる事を覚えるので他人の事もよく見えてくる。それが上手く?発動している時は他人の欠点に目がいき、下手に?発動している時には自分の自分のできなさに目がいったりする。しかし、見るべきところはそこではなく、自分のエゴだ。

そのエゴとどう向き合っていくのか?それがヨガだ。力で押さえ込むのではなく、観察し気づく事によって手放していく。執着、こだわり、欲、などから解放させていく事が瞑想である。こういう方法をクラスの中で身体を使って身につけていってほしい。その為に色々な観点、アプローチがヨガのクラスの中で与えられているのだ。

10人いれば10種類のヨガがある。1つの価値、1つの結果にこだわる事なく、自分自身の価値を見つけていく。だから、子供が大きくなったら家を出ていくように、ヨガの世界でも基本を身につけて成長したら巣立って、自分の価値を高めていき成長していけばいい。それが自然だと思う。

色々な生き物がいるように、日本人という価値観さえ乗り越えて、1人1人が生き生きとした世界が作られていけば好い。話が大きくなってきたので終わり。

優しさにつつまれたなら

優しさに包まれたなら、目にうつるすべてのことはメッセージ。

ユーミンの歌詞でこんな曲がありますね。優しさに包まれたなら、すべての事はメッセージになるのです。

1つの事を一生懸命学ぶ事は大切ですが、一見無駄に見える事の中にも学びの機会はあるものです。そしていつかすべてが繋がってくる。

前にヨガを教えている時にクレニオセイクラルワークというボディワークも教えようとした時に、ある生徒からそんなものは使えないから要らないと言われた事があった。

しかし、今武術系のメルマガとかを読んでいるとクレニオで学んだのと同じテクニックを言葉を変えて言っている事がある。それはアジャストにもつながるし自分とそれ以外の関係性であったり、様々なところに応用が効いてくる。

前にも書いたかもしれないが、ヨガは全てに通じる道だと思っているので、色々なところからヨガというものにアクセスでき、最終的には自分というものに集約されていく。

結局のところ、個々の成長がヨガであって、ヨガを学ぶ事がその人の人間性を高めてくれるものでなければならないのだと思う。

では何を学んでいくのかというという事はまた次の機会にしようと思うが、すべての事を自分へのメッセージに変える事は優しさに包まれる必要があって大事なのは感謝の心であり、すべてのものにありがたいなぁと思えた時に、全てが自分のための学びに変わっていくのだ。

そんな事を今日はふと思った。

手入れをする

昨年暮れに子供達が祖母へ買ってあげたシクラメンが花がなくなり葉ばかりになってしまっていた。

自分が子供の母は毎年シクラメンの花を玄関に飾って春先まで綺麗な花を咲かせていた。そんな記憶があるから、花が終わってしまうのは早すぎると思い祖母(子供達にとっての)から植木鉢を受け取り手入れをする事にした。

幸い還元水素水が植物に良いというので水やりをし、花と葉の手入れをし肥料を施すと、薄いピンクの花が赤くなり中央に陽を当てるようにしたら段々と元気になってきた。

人間の身体も手をいれ気を入れ心を入れたら元気になってくるのだ。花でさえそのおもいが伝わるのだから人間に伝わらないわけがない。

中国茶席

中国茶の茶席に出た。

昔中国を旅していた時、カップに茶葉を入れていつも持ち歩いていた。
その土地その土地の色々なお茶を飲んでいた。
特に味わうこともなく継ぎ足し継ぎ足し飲んでいたのを思い出した。

小さな急須のような茶壺に茶の葉を入れ熱いお湯を注ぎ1分、そして茶海というポットのようなものに注ぎ、聞香杯という背の少し高い湯呑に入れ、そこから小さな湯呑である茶杯に入れて飲む。
飲む前に空になった聞香杯の香りを味わうわけです。
こんなにしっかり味わってお茶を飲むのは初めての体験でした。

日本茶のような格式の高さを感じつつ、飲茶のような気軽さが同席しているそんな印象を受けた。
隣には見知らぬ人が座り一緒にお茶を飲みながら会話をする。
客をもてなす主を中心に一つの世界が世界が作り出される。

茶席という独特の世界感
礼儀作法というものもあるのだろうが堅苦しさもあまり感じず、出会う人とも気軽に一期一会を体感でき奥行きのある中国茶を味わうことができ素晴らしい時間を過ごせた。

ヨガのクラスもかくありたいものだと思った。
ポーズの良し悪しよりもその奥深さを内側に感じ味わい、礼節がありながらも堅苦しくならず、その時間をみんなで共有して作り出していく。
そんなクラス作りをしていきたいと今日は思った。