「師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ」

最近聞いたこの言葉、変に納得してしまった。

この言葉を聞いてアイアンガーは何を求めていたのだろうか?と思いを馳せる。

そしてグルジの言葉が浮かんでくる。

『私の終わりが、あなたの始まりであることを祈ろう』

『アイアンガー心のヨガ』の最期の文章からの言葉である。

前後の文章はこうである。

『私は今も学んでいる。それは、私にとっても真実である。

私は決して学びをやめることはないだろうし、そこから得た教訓をあなたがたと分けあおうとしてきた。

私の終わりが、あなたの始まりであることを祈ろう。

内なる旅を追い求めることに費やした人生からもたらされる、すばらしい報酬と数限りない祝福が、あなたを待ち受けている』

内なる旅を追い求める、

師の元めたるところは、人それぞれ違う観点を持っているので受け取り方もまたそれぞれだろう。

正解なんてないのだろう。と思う。

では自分はどうなのか?

師であるグルジーは最後まで練習を続けていた。学ぶ意欲を最後まで持ってヨガに取り組んでいた。

1番大事な事はこの学ぶ姿勢だと思う。

自分もこうしてヨガを教えてはいるが学ぶという面では生徒である。

魂の旅の途上である。

だから同じ旅を続ける生徒の力を奪うような事はしたくはない。

学ぶという熱量を上げていくのが仕事だとさえ思う。

そしていつか自分を乗り越えていってほしい。それが自然だからだ。

力を奪う事によって自分の力に変えている人もいる。

どこにでもある事である。

家庭の中にさえある。

ましてやいわんや。

ヨガを学ぶものは、ヤマ、ニヤマがありカルマヨガがあるのだ。

その奥深さを教えてくれる。

平安の昔は学びたい者が師を変えて学ぶ自由があったそうだ。最澄が空海に学んだような自由さが。

組織の成長という事を考えた時、そういう個の自由な雰囲気は無くなっていくのだろう。

ヨガとは本来個の成長が目的だと思う。

このあい矛盾する個と組織という現象が、創造、維持、破壊を生み出していく。

そうして人類は進化していくのだろう。

だからどちらが正しいという問題ではない。

その人の生き方なのだから。

「師の跡を求めず、師の求めたるところを求めよ」

出典を調べると孔子という説が多く出てくるが元になっているのは松尾芭蕉が弘法大師の言葉を元に弟子に贈った言葉のようだ。