正確に学んできたものを伝えるには、経験と理解が圧倒的に足りない。

学ぶための時間と資金も足りないので、自分で学んでいかなければならない。

自分で学んでいくと自己流になりがちである。学べば学ぶほど、やればやるほど理解は深まりつつも自己流になっていく。

習いに行けばいいのだが、それもなかなかままならないのが現実でもある。

だから、時間と資金に余裕がありワークショップにも常に参加できインドにも毎年行かれる恵まれた人は羨ましいかぎりだ。

でもそこで考え方、味方を少しだけ変えてみる。

最近お寺や新宗教の法要などに参加してみるのだが、仏教をうたっているが、各教祖を祀っていて、仏教の一部分をもって仏教と名乗っているようだ。

お釈迦様が偉大だったから教えが多岐にわたり、その一部分をとって仏教としているように思われる。本当の教えは上座部と言われるタイやスリランカに伝えららている仏教が仏教なのだと自分は思う。

ヨガもこれと同じ事がおきてくる。師が偉大であればあるほど情報弱者が生まれそこから新たなヨガが生まれてくるのではないだろうか。

それは仕方のない事である。伝統を守り続けるグループとそこから溢れてくる者達が出てくるのは歴史が証明している。

師が何を観て何を学び、何を伝えようとしていたのか。そこを考えながら学んでいくことが自分にとっては大事な事である。技術や方法は変わりゆくものなので本質を掴む学びを、どう伝えていくのかが指導していく上での要だと思う。

やり方方法を学んだら、その奥にあるものを探すためには個人練習が必要なのである。

そうして初めて自分のヨガが生まれてくる。

昔習っていた先生が、10人いれば10通りのヨガがあると言われていた。

その通りである。

〇〇ヨガを習っていたらそこから自分の〇〇ヨガが生まれてくるまで練習をして、それでも元の〇〇ヨガからまだまだ学ぶ事があり、更に自分の〇〇ヨガが深まっていく。

どうせやるのなら本流へとつながっていく事で自分を深めてくれる、そんなヨガを学んでいく方がいいとおもう。