抗がん剤論争と心の癖

抗がん剤に対しては、人それぞれ色んな意見を持っている。抗がん剤が絶対というわけではないけど、他の代替え療法も絶対というわけではなく、確率で言えばやはり抗がん剤治療が1番なのかもしれない。

それでもがん細胞を叩くために良い細胞も叩いてしまうのは「木を見て森を見ず」ということになってしまうのではないか?という疑問が浮かんでくる。

その事で身近な人に、いろいろ言われた。抗がん剤を受けないなんてとんでもないという意見だった。細かいやりとりは忘れてしまったが話終わって、くら~い気持ちになった。元気も失せていくようなそんな気分だった。結局その意見に押され切ってしまった。

そこで自分の頭の中でこの問題を処理する為に考えだされた考え感情が、自分を殺す事で相手に復讐する。被害者的な過激な感情が沸き起こってきた。

ちゃんと向き合って理解してもらえないのなら、自分が苦しむ姿を見て理解してくれ!みたいな、わけのわからない感情だ。

なんと面倒くさい事だ。

この感情は今に始まった事ではなく、幼い頃から同じ感じを抱いていた事を思い出す。

そうやって長い間自分で自分を傷つけてきたのだと思う。

さっき担当の先生がきて、この抗がん剤の話をした。先生は理解のある事を言ってくれた。自分の免疫力を落としてまで抗がん剤の治療をする必要はないと、本当か?とも思ったが、ここの入院患者を見ていると体力ご落ちる事や体調が悪くなる事には特に気を使っているようだし、薬を減らす事や中止する事も考えているという話を聞き、主治医の先生を信じてるみることにした。

脳裏には亡くなった義父の顔がちらつく。亡くなるはずではなかったのに検査入院で亡くなってしまった。病院への不信感であり、それを受け入れる家族への不信感でもある。

病院の夜は長くてきつい。痛みで何度も目が覚める。手術前とあまり変わらない。しかしだんだん痛みは引いていくらしい。

なかなか心も身体も自由には簡単にはなれないみたいだ。

2018年5月5日

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