最近ガンの話をよく聞く。

今日、25年前新宿でヨガを習っていた先生が末期ガンに罹っているという連絡を受けた。

その先生とも多生の縁を感じずにはいられない。数年前、先生が九州に来られた時に久し振りにお会いした。以前と変わらず元気に指導をされていた。

先生は治療をせず、このまま生を終わらせる事を選んだ。

もうやりたい事は全てやり尽くしたという事をおっしゃっている。

諦めてしまう気持ちはよくわかる。が、まだやる事は残っている。先生が決めたのだから、そんな事も全て含めての決断なのだろう。

もう人とも会われないそうなので、そっと遠くから見守ることしかできない。こうして話を聞いていると、先生の人としての生き様、覚悟のようなものがみえてくる。

当時のヨガ教室は今のヨガ教室のように体を動かして技持ちい~で終わりではなかった。2時間のクラスが朝、昼、晩と毎日3クラスあった。特に指導員養成コースは生きるとは何ぞや?ヨガとは?人間とは?という事を常に考えさせられ教えてくれるところだった。自分と向き合う事、人と向き合う事を真正面から教えてくれた。そんなヨガだった。原稿用紙を渡され、いつも思った事、感じた事、何でも書いてチェックをしてもらっていた。色々学び教えていただいた時間が記憶の中からおもいだされる。

確かに自分の中に、その教えは何年経っても心の中に残っている。

今にして思えば古き良き時代だったのかもしれない。

ヨガのというのは人間を成長させる道具、手段である。