学び

  • 感情のエネルギー

    人は感情によって行動する。そう整体の先生はおっしゃった。

    だから嫌々やると負のエネルギーが働き出すから心にも身体にも良くない。どうせやるのなら負のエネルギーを正のエネルギーに変えて楽しみながらやる方が心にも身体にも結果も良いものになってくる。

    やる気を出してやると色々な事が変化してくる事を体験した事はないだろうか?

    そういう切り替える事が出来たら人生はもっと変わっていく事だろう。

    そこにはこだわりや執着があってはありのままを受け入れる事にはならない。

    変化を恐れてはいけない。

    感情のエネルギーが気のエネルギーに影響を与え肉体に影響を与えていく。

    だから自分の感情を俯瞰するように観察する必要がある。身体を観察し、呼吸を観察し感情を観察する。

    そこからさらに思考の域に入っていく。

    先ずは感じること。そして観察する事。そして受け入れる事。

    それがヨガだ。

  • アサナ

    ヨガをしはじめて30年近い月日が流れた。

    これでもか、これでもかと練習をやりすぎて、医者に言われるまで身体を酷使しすぎてしまっていた。

    瞑想という心の面から、この道に入ったのにいつのまにかアサナがうまくできる事にとらわれすぎていた。

    それなりに学んで勉強になったが、身体を傷めてしまっていた。

    過ぎたるは及ばざるが如しだ。

    ほどほどが今からの人生には必要で転換期にでもきているのだろう。

    じゃあ、この先どのようにアサナと向き合っていけば良いのだろうか?

    万人がメディアに出てくる人のようにアサナを綺麗(必ずしも良いとは思はないが)にできないのであれば、どこがゴールになるのだろうか?

    アサナが上手くなっていくという事は一体どういうことななのか?

    グルジは90歳を過ぎてもアサナを続けていた。

    肉体からプラーナへそして感情のエネルギー層へと意識を旅させる為には1人での練習が重要になってくる。

    何故なら自分をしっかり見つめて観察する必要があるからだ。

    そして身体の隅々まで意識を張り巡らし肉体には知性を内にはプラーナを感じつつ心の変化を観察させる。

    とらわれる事なく執着する事なく流れていく心の変化を見つめる。

    川の流れを見つめるように。

    今できるアサナはこういう事になってくる。

  • 神経伝達治療(NTA)を受ける

    身体の不調がここのところ続いていて、知り合いの紹介で神経伝達治療を受けに長崎県の諫早まで受けに行ってきた。遠くからも患者が来るような治療院で大分ナンバーの車が停まっていた。

    身体のバランスを治し、心の話をしながら施術をしてもらった。

    結局、色々考えすぎていてそれが腎臓を悪くしているといわれた。

    なんでもほどほどにという事だった。

    ほっといて

    どうでもいい事

    ほっといて

    どうにかなるさ

    という事らしい。

    感情のエネルギーで身体は動くからマイナスの感情で身体を動かしていると身体に負担がくる。

    マイナスのエネルギーで動いている事が多々あったのかと思い出してみた。

    そうすると思い当たる節がある。

    なんとかしようとしても何ともならない事が、心と身体を蝕んでいく。

    そういう人は自分だけではなく本当に多くの人がそうやって自分を苦しめているそうだ。

    それでも頑張れとこの社会は言っているのかもしれない。

    頑張ればなんとかなると。

    もっと努力をしろと。

    これからの人生、中道を目指していくのも新しい道なのかもしれない。

  • 自主練習

    1人で練習をしていると色々なことに気づく。

    昨日ヒーラーに腰部を手当てしてもらった。ハミングとかいうらしい。

    終わった後に悲しみが沢山あって涙が出てきそうになった。といわれた。

    ヨガは肉体的な作業だが、その奥に気の流れがあり、その奥には感情のエネルギーが流れている。

    自分にとっての今年のテーマでもある、1つひとつのアサナをじっくりやっていこう感じていこうと思っている。

    身体の中にスペースを創り出しながら左右のバランスを確認するようにアサナを続ける。

    長年やっていても思ったように上達しないなぁとか思いながら、上達する秘訣は何なんだろう?きっと解明してみせようなんていうおもいも湧いてくる。

    ノートにメモを取りながら練習をして後半に差しかかった頃昨日の事をおもいだした。

    幼い頃の事や家族の事、多感だった思春期の時に思った感情やインドでした内観瞑想の事などが頭をよぎった。確かに自分は悲しみの感情が強い。この身体の痛みがこの悲しみのエネルギーからきていると言われれば 納得する部分がある。

    自分の感覚だが、悲しみはヴァータでできていて、それを包み込むようにカパで覆い隠している。いつの頃からかこの敏感な感情に触れたくないために水と土のエネルギーで覆い隠して感じないようにしているのだ。それがヨガをする事で1枚また1枚と剥がれてきている。

    身体はパソコンでいうところのハードデスクの役目を果たしていると思っている。

    この感情が解放される時にどのような変化が起こるのか楽しみでもある。

    ちょっと自虐的だが自分の負のば部分と向き合っていくという事はそういう事なのだと思う。

    こうして身体が整い心が整い環境が整っていく。

  • センター

    ヨガのアサナをしていると、左右差がとても気になってくる。

    身体の硬い方をより柔軟にしようと一生懸命になったりする。

    柔らかい方はというともっと強くしようと思うのだが意識は強い方、硬い方へと行きがちである。

    だからこそ意識する必要がある。

    身体は左右対象にできていないのだ。

    日本人には丹田という言葉がある。

    丹田からしっかり手、脚を伸ばしていくと同時に引き込む力が必要だ。そしてその力、エネルギーは背骨、センターへと流れていく。

    左右差が解消されていくことで腹部、胸部が開かれていき、頭が安定していく。

    ヨガをする上でとても重要なポイントになっていく。

  • 以前クレニオセイクラルワークを学んだ時、最初のワークがダイアグラム、横隔膜のように身体を横に走る組織の解放だった。

    横に走る組織の緊張が縦方向の流れを阻害するからだ。

    ヨガでも同じように縦に流れるエネルギーを横に走る組織がブロックしないように緩めていく。

    プロップスを使ったり、アジャストをする事によって縦方向と横方向の拡がりを作っていく事から練習が始まる。

    決して身体に負担をかけて難しいアサナをする為にする事はない。何故なら理にかなっていないやり方は身体を壊すからだ。

    ヨガは全ての物事の真理と通じる。この道を探していく事が自分にとってのヨガである。

    だからセラピー、癒すという事を考えた時に同じ原理原則がそこにはなければならない。

    だからヨガで身体を癒し治していく事が可能になってくる。

    そんな道を模索探求していく。

  • 中国茶の茶席に出た。

    昔中国を旅していた時、カップに茶葉を入れていつも持ち歩いていた。
    その土地その土地の色々なお茶を飲んでいた。
    特に味わうこともなく継ぎ足し継ぎ足し飲んでいたのを思い出した。

    小さな急須のような茶壺に茶の葉を入れ熱いお湯を注ぎ1分、そして茶海というポットのようなものに注ぎ、聞香杯という背の少し高い湯呑に入れ、そこから小さな湯呑である茶杯に入れて飲む。
    飲む前に空になった聞香杯の香りを味わうわけです。
    こんなにしっかり味わってお茶を飲むのは初めての体験でした。

    日本茶のような格式の高さを感じつつ、飲茶のような気軽さが同席しているそんな印象を受けた。
    隣には見知らぬ人が座り一緒にお茶を飲みながら会話をする。
    客をもてなす主を中心に一つの世界が世界が作り出される。

    茶席という独特の世界感
    礼儀作法というものもあるのだろうが堅苦しさもあまり感じず、出会う人とも気軽に一期一会を体感でき奥行きのある中国茶を味わうことができ素晴らしい時間を過ごせた。

    ヨガのクラスもかくありたいものだと思った。
    ポーズの良し悪しよりもその奥深さを内側に感じ味わい、礼節がありながらも堅苦しくならず、その時間をみんなで共有して作り出していく。
    そんなクラス作りをしていきたいと今日は思った。

  • 高校時代の部活の顧問の先生の古希のお祝い会に参加してきた。九州からわざわざ神奈川まで行ってきた。

    久しぶりに会った部活の先輩後輩、いいもんだなぁ、と思った。学生の頃はただひたすら練習が嫌で何とか3年間終えたという感じだった。1、2年生の時は練習はストレス以外の何者でもなかったが3年になって、あと1年と思った時に「あと1年やる気を出してやってみよう」と思った。そうしたら1、2年の時の苦しみが嘘のような消え、記録も伸びるようになった。この事が、やる気を出せば全てが変わるのだという事を学んだ。

    学んだ事はそれだけでは無かった。先生の厳しいまでの指導。自分はあまり怒られる事はなかったが、その情熱はかなり熱いものだったのだと今回気づいた。そしてその情熱が良きにつけ悪しきにつけ影響を受けていた。まるで社会の縮図のような毎日だと決めつけ、会社勤めはせずにドロップアウト。そしてヨガという自分の道をみつけ今までやってこれたのはこの先生の情熱を受け継いでいたからだと気がついた。

    今まで何となく自信がなかったりどっちつかずになったりして迷ったりしていたが、自分の原点に立ち返る事ができた。そんな先生の座右の銘は『雑草の如く』であった。これでいいのだ。と思えるようになったし、『自分を信じてあげられなくて誰が自分を信じてあげられるのだ』という言葉が残った。

    そして仲間というものは大切な財産であり。ヨガを通してその仲間を作り育てていく事が自分のこれからの仕事である事を教えてくれた。

  • そこに欲求と抵抗があるとアイデンティティが生まれる。アイデンティティは自分に服を一枚被せるようなもので、本来は着たり脱いだりできるものなのだ。でも同じ事をずっとしていると、その服、役割が身にしみてしまい脱ぐ事をいつしか忘れてしまう。

    では、どんな服を着るのか?お母さんという同じ服でも、人それぞれ違う。その人がどこに反応するかで、その柄は変わってくる。やりたくない事をやらされた時、ものすごい抵抗が生まれてきたが何らかの理由でそれをしなければならない時に服を身にまとい始める。気がつかないうちにそれは身に付いてくるのだ。そして本人も気づかないうちに相手に同じ事を(この場合、嫌がる相手に無理に何かを頼むという事)するようになる。

    子供から大人まで人はこうして何枚も服を重ね着していく。そしていつしか身につけている事すら忘れてしまい、これが本来の裸の自分だと勘違いしてしまうのだ。

    この事で身体と心に緊張を作り出し、人間関係にも支障をきたしたり、無理をして具合が悪くなっていったりもする。

    本来の自分、アイデンティティを身につける前の自分に出会う事でこの問題は解決される。上手くこのアイデンティティを使いこなす事が出来れば役者のように色々な体験ができるのかもしれない。

    ハタヨガは身体を観察し心を観察して、このアイデンティティを外していく。
    筋肉をコントロールして力を入れたり緩めたりすることで身体をコントロールしていく。
    そうすることで自分の中心へと近づき、意識も自分の中心へと向かい本来の自分に還っていく。

  • 先日、聞き方講座で学んだ事だが、心に出さなくても気持ちは相手に伝わるという事を、oリングテスト(筋反射テスト)を使って実験をした。

    ポジティブな思いは自分だけではなく相手にも良い影響を与える。
    眉間にしわを寄せて話すとネガティブなエネルギーが起こり、、眉毛を上げて話すとポジティブなエネルギーがおこる。
    そしてそれは確実に相手に伝わる。

    どうせなら楽しく人とは接したい。

    眉毛を上げていると、心が自然とウキウキしてくるのは自分だけだろうか?

    ヨガレッスン中も眉間にしわを寄せて頑張っている人がいる。
    頑張るのは良いが、ちゃんと体に力が入らず無駄な力が入ることがわかる。

    心の問題を解決していくためにも、せめて眉間にしわを寄せずに過ごしたいものだ。

    アメリカのテレビドラマで最近よく見ている番組に「Lie to me」というのがある。
    顔の表情やしぐさで相手の心を読んで問題を解決していくストーリーなのだ。
    心の動きは表情に出るものなのだ。
    怒り
    恥じらい
    蔑視
    秘密
    などなど。

    心の動きが体に現れる、その癖を修正していく作業がヨガでもある。

    ヨガでも心をしつけていく事ができる、そしてポジティブな気持ちを維持することで楽しい毎日がやってくる。